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岩木山レポート:山神様

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 日曜日、天気予報では終日の雨でしたが、朝空を見上げるとそれほどの悪天ではなさそうです。計画通りに岩木山の赤倉神社へと向かいました。以前にも一度この「院長のひとこと」に書いたのですが、岩木山には幾つかの登山路があります。嶽コースから反時計回りに百沢コース、弥生コース、赤倉コースそして長平コース。その中で赤倉コースが一番のお勧めです。急登は少ないのですが、その分少々長く、登るには時間が掛かります。この登山路は山岳信仰の道で、点々と続く石仏をたどる道です。石仏には下から順に番号が付いていて、一番上が33番。最後に標高1430mの大開からの水平道の途中に大きな聖観音が祭られています。山頂直下の登りまでは短いですが、見晴らしの良い尾根歩きも楽しめます。
 観音様(石仏)はそれぞれにお顔が違っていて、中でも9番の観音様が一番の器量良しです。若い頃は気にも留めなかったのですが、その他の観音様もそれぞれに趣があって、どこか外来に来る子ども達やお母さん、お父さんに似ています。

 膝を痛めてからこの季節に岩木山を登るのは久し振りでした。ボードで一気に滑り降りるならまだ良いのですが、標高差およそ1200〜1400mを一歩一歩降るのは随分と膝に負荷が掛かるのです。
 そんな訳で赤倉に来るのは何と6年ぶりでした。来てみて驚きました。随分と色々と変わっていたのです。変わったと言っても変わったのは人が作った物で、壊れかけていた橋は新しくなっていました。しかし社務所?が倒壊していたり、倒れている観音様もありました。標高1070mの鬼の土俵では祠が飛んで中の山神様がお姿を現していました。今までは祠の中でしたから、お目に掛かるのは今回が初めてでした。合掌!

 麓の赤倉神社の参道では、ブナの実が沢山の芽を出していました。そのほとんどは枯れてしまうはずです。しかしもし誰も歩く人がいなければこの参道も直ぐに緑に飲み込まれてしまうのだろうと想像していました。赤倉コースの登山道はよく整備されていますが、それでも人の手が入らないと直ぐに荒れてしまいます。南八甲田の登山道などは笹藪を刈っても刈っても直ぐにどこが道か分からなくなります。それが日本の自然なのでしょう。山を神と崇める気持ちが分かるような気がしました。

八甲田レポート:花の稜線

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 心落ち着く湿原や風爽やかな稜線歩きが好きで、春夏秋冬幾度となく八甲田を登ってきました。毎年5〜10回は登っています。これまでの登山回数は優に100回は越えるでしょう。学生時代は車がなかったので、滅多に登れませんでした。電車とバスを乗り継いで酸ヶ湯まで行くのですから大変でした。卒業し自分で車を持ってから、八甲田へ通うようになりました。それから既に35年になります。
 先の晴れた日曜日、赤倉から井戸岳の稜線を歩きつつ、あと何年こうやって登れるだろうと考えていました。若い頃とくらべ体力は随分と落ちました。足腰は弱り、もう8時間は掛かる南八甲田の黄瀬沼まで日帰りする元気はありません。北八甲田の1周4〜5時間くらいのコースが丁度良いです。しかしその北八甲田もおそらくあと10年もすればきつくなるでしょう。そう思うと稜線を彩る花々がいつもより愛おしく思えたのでした。

 友人と65歳に南米のアコンカグアへ行こうと約束しています。果たしてその時、それを成せる体力がまだ自分に残っているでしょうか。少し怪しくなってきました。

明治神宮の森

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 以前テレビで明治神宮の森は人が作った天然林だという番組を観て、いつかその森を歩いてみたいと思っていました。しかし東京へはよく行くのですが、時間に余裕がなく、都心にあってもこれまで一度も行ったことがありませんでした。先週、孫息子の1歳の誕生日のお祝いで上京した次の日の日曜日、奥さんと二人でその森を歩いてみました。森は明治神宮の鎮守の森として作られました。作られたのは今から90年前。当初から100年後を見据えて作られたのだそうです。つまり100年の時を掛け、それが自然林になることを想定して植樹されたのだそうです。天然林では森は自ら世代交代を繰り返し、人が手を加えなくても豊かに維持されます。明治神宮の森は現在ほぼ天然林相に近づいているそうですが、「それが本当かどうかは千年、万年という単位で見守らなければ分からない。そういう意味でこの森は興味の尽きない、見守って生きた森の一つです」と科学者は述べています。

 実は自分は高校生の頃、大学で生態学を研究しようと考えていました。図らずも医者になってしまいましたが、今でも森や野鳥、自然が好きです。大学で山岳部に入ったのも自然に触れ合いたいという気持ちからでした。医者になったことを後悔はしていませんが、もし生物学の道に進んでいればまた違った人生があったのだろうと楽しく想像したりもします。
 娘のマンションの窓から見る景色はコンクリートの建物ばかり。とても自分はそこで暮らせませんが、人も生き物、自然の中でこそ豊かに育つと思うのです。娘には必ず1年に何度か弘前に帰ってきて子ども達を自然の中で遊ばせることを約束させました。

八甲田レポート:雪原

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八甲田はなだらかな場所が多く、積雪期湿原は広い雪原となります。その平坦で特徴の無い地形は、一度霧で視界が悪くなるとルートを定めるのが難しく、迷いやすい場所でもあります。しかしその反面、晴れると遠くまで見通せ、気持ちの良いハイキングコースにもなります。
先の日曜日、山も良く晴れ、毛無岱の雪原の向こうの津軽平野に、岩木山が浮かんでいました。頂上稜線からは陸奥湾を隅から隅まで望み、白神の向こうには鳥海山、南には岩手の山々を望むことができました。
霧にかすむ森も好きですが、やっぱり晴れると気持ちいいですね。

バッテリーのトラブルで、写真はiPhonで撮影しました。最近の携帯は写真も結構綺麗に撮れます。

事故を防ぐには

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 大津市で直進車が右折車とぶつかって、園児の列に突っ込む痛ましい事故がありました。通行人が犠牲とならなくても右折車と直進車との事故は少なくないそうです。この事故は単なる不運でしょうか。ただの運転手の過失でしょうか。事故の原因には個人の過失によるものと交通システムに起因するものとがあると思います。個人の過失はある程度は発生してしまいます。いくら交通標語を作っても、いくらテレビで注意を促してもなくなりません。それは人間そのものの性とうものでしょう。交通システムに起因する事故であれば事故を減らせる可能性はありそうです。

 この事故の原因は運転手だけでなく、交差点のシステムそのものにも原因がありそうです。右折の矢印の信号が付いていない交差点では右折車は対向車が途切れる間を図って右折しなければなりません。右折信号の付いている交差点でもその時間は短く、皆焦って無理に右折しようとしています。
 3年前に学会でイギリスのエジンバラに行った時、郊外を車で走っているとよくラウンドアバウトというシステムの交差点がありました。去年、学会で旭川に行った時に同じようなラウンドアバウトがあって懐かしく思いました。これは信号機があって厳密なラウンドアバウトと言って良いかどうかよく分かりませんが、交差点の真ん中に大きなサークルがあり、車はそのサークルを回りながら自分の行きたい方向の道へと進みます。ですから直進車も必ずサークルを回って、直進方向の道へと進む訳です。これで交差点を通過する直進車のスピードは抑えられます。

 事故を減らすには個々人の注意は必要ですが、それだけでは事後は減りません。システムそのものの改革が必要と考えます。

八甲田レポート:バードウォッチング

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 令和元年5月1日、令和になって最初の日は山へ行こうと決めていました。今年の八甲田の積雪量は例年通りだったと思いますが、春先に降った雪の所為かまだかなり雪が多く、酸ヶ湯の積雪はまだ2mはありました。視界は悪かったのですが、風はなく穏やかでした。霧にかすむ森はむしろ幻想的で、こんな山も好きです。今回は迷わないようにと最初から地図とコンパスでしっかりと方向を取って歩きました。

 林の中ではコガラやヒガラ、ゴジュウカラ。コゲラの声も聞こえていました。開けた場所では小枝の上でカヤクグリが力一杯囀っていました。高校生の頃、野鳥クラブを作り、毎週のように林で探鳥会を開いていました。大学に進学し山岳部に入ったのは山へ行けば違う野鳥と会えるかも知れないと考えたからでした。今も野鳥の声だけで大体は何の鳥か分かります。今朝もホオジロ、アカハラ、キジの声を聞きながらジョギングしていました。

 早春の野鳥たちが囀り初める頃はまだ葉も茂らず、バードウォッチングに最適な季節なのです。弘前公園にも沢山の野鳥がいます。皆さんも双眼鏡を持って散歩してみては如何ですか?

写真はカヤクグリ。望遠も小さいし、霧で写りが悪いのはご容赦を。

感染症サーベイランス

 昨夜の急患診療所では朝から嘔吐している子が比較的多く受診されました。インフルエンザは0でした。疑いは他県から来た1例だけ。しかしまだ発熱から時間が経っていなかったので、検査せず麻黄湯のみ処方しました。急患診療所に出るとあちこちから患者さんが来るので中弘南地域の流行状況がより分かります。

 当院の感染症発生動向と県の感染症発生動向とを比較すると、中弘南地域の各感染症の1/2から1/4が当院からの報告ですが、インフルエンザに関してはいつも1/5以下で、週によっては1/20以下ということもあります。もちろん中南地域の中でも更に流行している区域とそうでない区域があるので一概には言えませんが、僕と他の先生のインフルエンザの捉え方の違いで差が出るのかなと思ったりします。つまり僕は極めて軽症のインフルエンザを診断する必要は無いと考えています。怪しいなと思っても元気そうなら敢えて検査しないことも良くあります。そしてインフルエンザであってもそうでなくてもどちらでも良いように漢方薬を処方します。発熱患者全員の検査はしていませんし、熱のない隠れインフルエンザなんて頼まれても検査しません。全ての感染者を洗い出そうとすれば、毎日校門の前で全員に検査する必要があります。それは不可能ですし無駄なことです。

 しかし例えばエボラ出血熱などといった重症感染症であれば話しは違います。極めて致死率が高い感染症であれば、積極的に診断するでしょう。その感染症の重症度、感染力、感染経路で対応を考える必要があります。僕はインフルエンザを重症感染症とは捉えていません。ただ、稀にある重症の合併症を見逃さないようにすることが肝要と考えています。

八甲田レポート:慣れと油断

 日曜日、函館の小児科の先生を案内し八甲田を登ってきました。生憎の天候で、酸ヶ湯へ向かう途中の沖揚平では吹雪いて何度も視界0となり、10年前にここで事故ったことを思い出しました。その時も視界0で突然現れた立ち往生している車に追突してしまいました。

 山も視界が悪く、風と雪でゴーグルを付けての登山でした。当然誰も登山者はおらずトレース(踏み跡)はありませんでした。しかしそれはそれで誰も歩いた後のない雪の上を自分の足跡を残しながら歩くのは楽しいものです。途中から一般ルートを外れ、沢筋ではなく直登することにしました。雪のアオモリトドマツの林を見せてあげたかったのです。今年の樹氷は本当に大きく育ったのでしょう。山の上の方ではまだ立派な樹氷が残っていました。残念ながら強風と凍った斜面に安全を考え、頂上直下で引き返すことにしました。

 トラブルはその後でした。登りのルートファインディングは高いところを目指せばそのうち頂上に着きます。難しいのは下りです。視界が悪い時はコンパスで方向を取って降りなくてはなりません。しかし僕はこれまで何度か来たことのあるルートだから、少しは見えているし、と油断してしまいました。安全を考え、降りやすい方、降りやすい方と斜面を選ぶうち方角を間違い、大きくルートから外れてしまいました。挙げ句の果てに自分がどこにいるか分からなくなってしまったのです。幸い連れの先生の携帯のGPSで自分がどこにいるかが判明し、なんとか無事に下山することができました。案内するはずが、逆に案内して貰った訳で、全く恥ずかしい限りです。いくら慣れていても初心忘れるべからずべからず、油断大敵と学びました。

 何事もそうですよね。基本が大切です。

働き方改革

 世の中の色々な場所で働き方改革が叫ばれていますが、開業医も働き方改革をする必要がありそうです。先日とある医療系の情報誌に、開業医の平均寿命が70.8歳とありました。60歳代で亡くなる開業医が最も多いのだそうです。勤務医時代からのハードワークを引きずり、開業してからは尚更診療時間が長く、心身ともに疲れ様々な病気に罹ってしまうのでしょう。


 弘前市内のある人気の皮膚科の先生が受付時間を平日17時、土曜日11時にすると聞きました。この先も長く診療を続けるためには少し仕事量を減らす必要があると判断したようです。先日も1日の患者数が170人を越えたとか。当院でも受付時間を18時までと短くし、また少子化もあってか、患者数は年々減少し、1日100人を越えることも少なくなってきました。しかしその代わり診療に時間の掛かる子を診るようになって、やはり帰宅時間は8時を回ることも少なくありません。僕だけでなくスタッフも疲れています。

 働き方を改革するには単に診療時間を短くすれば良いというだけではないでしょう。その内容も問われのだると思います。仕事をして報われる思いが必要なのでしょう。そして自分たち自身が心身ともに健康で、心に余裕が必要です。診療のレベルを上げる必要もあります。

当院の働き方改革・・・思案中です。

一升餅

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 去年生まれた初孫の1歳のお祝いで札幌へ行ってきました。生れて9日目でしっかりと父親(僕の息子)を見て笑顔になった孫娘は、もうよちよちと歩き始めていました。両家のじじばばも集まり、一升餅を背負わせ、皆で彼女の健やかな成長を喜び、将来の幸せを祈念したのでした。

 それにしても日本には子どもを祝う行事のなんと多いことか。子どもを大切にする文化は今も確実に息づいています。しかし一方で虐待のニュースは絶えることがありません。それは単に虐待する親だけの問題ではなく、やはり日本社会の歪みの現れと思っています。虐待を予防するには責めるのではなく、虐待する親を支援し、彼らが抱える不安に寄り添うことが大切だと考えています。

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