記事一覧

白か黒か

ファイル 453-1.jpgファイル 453-2.jpg

 ストレスの多いインフルエンザの診療もそろそろ終わりです。そのストレスとは医療を提供する側と受ける側の意識の差から来るものでしょうか。もう少し正確に言うならば自分がやりたい医療と患者さんが望む医療のギャップでしょうか。
 多くの方が重症度を問わずインフルエンザかどうかの診断と治療薬を希望されます。マスコミに不安を煽られたり、会社あるいは園、学校から診断を求められることも少なくありません。しかし最近思うのは白黒はっきり診断を付けることにどれだけ意味があるのだろうかということです。
インフルエンザの診断キット自体、100%の精度で診断することは出来ないし、仮に診断して厳密に出停措置をとったとして、それでインフルエンザの流行を防ぐことが出来るわけではありません。出停にどれだけ意味があるのだろうと疑問に思うのです。タミフルなどの治療薬を使わなくてもほとんどのインフルエンザは治るし、罹ったときにその子の状態を正しく評価して適切な医療をすれば良いのではないかと思うのです。インフルエンザに全例、抗インフルエンザ薬を使うのはある意味過剰医療ではないでしょうか。
 発達障害でも白黒はっきり診断を求められることが多いようです。世の中、白黒だけでなく、グレーもある。他の色だって沢山ある。いつから日本は白黒しか認めない二元的な社会になってしまったのでしょうか。

 絶対的な信頼感を持てた赤ちゃんは好ましい愛着形成を築くことが出来ます。しかし大好きな母(good mother)の中に、怖い母(bad mother)の存在に気付いたとき、大好きお母さんでもbadな所もあることに気付き、子どもはgoodとbadを統合して行きます。good とbadを統合できないと、人を白か黒かだけで見て、灰色で見られなくなります。自分自身もgoodとbadが分裂し、一貫した思考が出来ず、ストレスがたまり、精神的混乱、心身症、異常な行動の引き金になると言われています。
 さて、今の日本、白か黒かでしかものを見られなくなってきているのだとしたらそれは日本の自己像が不安定であることを意味していると言えるのかも知れない・・・なんて考えていました。

GWまでは持ちそうにありませんが、今年の桜も綺麗でしたね。

八甲田レポート:崩れる前に

ファイル 452-1.jpgファイル 452-2.jpg

 雪が少ないからなのか、あるいは午後から天気が崩れるという予報の所為か、日曜日の八甲田は登山客もスキーヤーもほとんどいない静かな山でした。新しい足跡は幾つかありましたが、登っている最中、ほとんど誰とも出会うことはありませんでした。あまりの人気のなさにちょっと人恋しくなり、立ち寄った山小屋も誰もいませんでした。午後から大荒れとの天気予報にお昼までは持つだろうと空を睨みながら登山でした。
 雪はまだ完全には締まっておらず、一歩一歩、くるぶしまで潜らせながらの登山は今の僕には結構ハードでした。しかしおそらくあと1ヶ月もすると稜線から花が咲き出すでしょう。そして6月には湿原はお花畑になるはずです。去年は忙しくその季節に来ることが出来なかったので、今年は出来るだけ山へ通おう秋田駒や鳥海山も良いなと考えながら登っていました。

子どもの声は騒音?

 ご覧になった方もいるでしょうが、先日関東のI市で保育所を作ろうとしたところ、子どもの声でうるさくなると反対され、保育所の建設が中止されたとのニュースがありました。保育所と騒音で検索すると沢山ヒットします。子どもの声が騒音だなんて!!
 同じ日のニュースに、父親が2歳と3歳の我が子を収納ケースに押し込め死なせてしまったという事件がありました。理由はテレビをたたくなどして騒いでいたからと。

 この二つのニュース、どちらも根は同じと感じました。なぜ子どもの声をうるさく思うのでしょう。大人が子どもと接するとき、知らず知らずに自分の子ども時代と事が想起されると言われています。澤田敬先生はお母さんが赤ちゃんに“いないいないばー”をするとき、赤ちゃんは楽しくて笑いますが、遊んであげているお母さんも間主観的に楽しくなる、それはお母さん自身の子どもの頃の表象世界(心の中のアルバム)が想起され、童心に返って楽しくなるのだと言っています。子どもの声をうるさく思うのはネガティヴな辛い表象世界が現れるからかも知れません。それは楽しい子ども時代を過ごしていなかったから? しかし誰しも辛い思い出だけでなく、楽しい思い出もあるはずです。辛い思い出の方が先に現れるのは、おそらくその人が今置かれている環境にもよるのではないでしょうか。家族関係が気まずかったり、地域社会から孤立していたり。そもそもその地域社会が貧弱では孤立云々以前の問題かも知れませんね。

 虐待も同じです。騒ぐ子どもに心がかき乱されるのは、自分自身が親に虐待された表象が想起され、同じように虐待してしまう。それを救うのは何時でも相談できる友人がいたり、それに代わる公的な機関があったり、自分の辛い過去を言葉にして言える環境が必要なのです。
小児科医院もその一つになるべきなのではないかと考えています。
予防接種や健診で受診したときそのサインを見付けてあげたいといつも思っています。当院のスタッフもいつでも相談相手にあげられますよ。
気軽に話しかけてくださいね。

子どものトラウマと心理発達

ファイル 450-1.jpgファイル 450-2.jpg

 日曜日、カナダのトロント大学精神科准教授、キャスパー・チューター先生の講演会に参加してきました。テーマは“子ども時代のdisplacement、及びそのパーソナリティ形成に及ぼす影響”
displacementとは強制的に移住されること。戦争や災害で故郷を追われ、無理矢理、別の土地に移住させられた家族の中の子ども達の心理発達がテーマでした。今の日本でも5年前の震災で故郷を離れざるを得なかった人、福島のように帰りたくても帰れない家族が沢山います。今回の講演はそれを踏まえての講演依頼だったと理解しました。
 講演の中でチューター先生は子に掛かるトラウマ状況の影響はそれに対処する両親のキャパシティに左右されると述べていました。家族にストレスに対処する力があれば乗り越えられるということでしょう。戦争や災害からくる大きなトラウマもありますが、引っ越しなどのdisplacementも低レベルのトラウマになりえます。
 両親が十分な情緒的包容力を持たない場合、それらのトラウマが子どもの人格に大きな影響を与える可能性があります。そうすると良いか悪いかのどちらかだけに分裂し、白か黒しか認めない窮屈な人格が出来てしまいます。健全な人格の発達には*乳児にとって安全で穏やかな首尾一貫した環境があること、*食事、暖かさ、快適さ、静けさといった身体的現実的な面と同時に、母/両親と乳児との優しい体の触れ合いを通して感情的な側面が育まれることが必要です。安全基地を与えることが出来なくてはならないのです。

 さて、振り返って僕は小さい頃から引っ越しと転校を繰り返してきました。おそらく僕の両親はそれに対応するキャパシティを持っていたのだと思いますが、その体験は自分の性格に多少なりとも影響を与えているのではないかと思うのです。
春、転勤で弘前から離れる人、新しく来る人が多いこの時期、それが子どもに重大な影響を与えることのないよう、我々は上手に支える必要があるのではないかと思いました。

 写真は講演会が始まるまでの空いた時間でスタッフと行った世田谷の豪徳寺の観音様です。このお寺は招き猫のお寺として知られ、観音様の周りには願いを叶えた沢山の招き猫が奉納されていました。
招き猫に囲まれ、観音様はにっこり笑っていました。