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子ども遊ばせ隊

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日曜日、十和田のT先生が主催した遊びのワークショップに参加してきました。講師は富山県の早川たかし先生。早川先生は長く養護教育に携わってきた先生で、退職後「子ども遊ばせ隊」というNPO法人を立ち上げ、富山市の里山に一軒家を手に入れ、住めるように補修。不登校などの子ども達を呼び、一緒に遊んでいる先生です。その先生の講演は「子ども遊ばせ隊は本当は大人を遊ばせたいなんです」という言葉で始まりました。
子どもは遊びの中で育ちます。今の子ども達はのびのびと遊べているでしょうか。ゲームばかりで外遊びが足りないのではありませんか?子どもを遊ばせるにはまず親が童心に返り、遊びを思い出し、一緒に遊ぶことが必要です。先週のブログにゲームより面白いものがあれば良いのですがと書きました。ただゲームを止めろと叫んだところで子どもとの溝が大きくなるばかりです。ゲームより面白い遊びを大人も一緒に遊べば良いのです。WSはサソリのびっくり箱から始まり、参加者全員で皿回しやけん玉で遊びました。しかし皿回しやけん玉も面白いのですが、それはきっかけに過ぎないように思います。そこから子ども達と自由な遊びの世界に入って行けば良いのではないでしょうか。

昔、子どもの頃、けん玉を随分練習し、自分で言うのもなんですが、かなり上手でした。しかし久し振りのけん玉は難しかったです。思うように玉が乗りません。悔しくてまた練習を始めました。ボケ防止にも良いですよ。

インターネット・ゲーム障害

 タイトルの障害名が精神科の診断名として正式に採用されました。確か最近、報道でも取り上げられていたように思います。先週参加した外来小児科学会年次集会でそのゲーム障害の教育講演がありました。
講演の要旨をまとめると
1.精神科を受診するゲーム障害の2/3が未成年
2.男女比は7〜8:1
3.全体の90%以上はオンラインゲームに依存
4.ネット依存の健康・社会生活への影響は大きく、遅刻、欠席、成績低下、親への暴言・暴力、昼夜逆転、ひきこもり・・・
5.自閉症スペクトラム障害やADHD、社交不安障害などとも合併頻度が高い
6.依存性は強固で治療は困難
7.場合によっては入院治療、しかしその施設は限られる・・・

 以前から不登校の子ども達が家でゲームばかりして、昼夜逆転している状況を見てきました。彼らがゲームに熱中しているのは他にやることがないからということも多いようです。つまりゲームをしているから不登校になるわけではありません。しかしそれが度を超すと依存症となって様々な問題を引き起こしてしまいます。特にネットで繋がるオンラインゲームは依存性が高いそうです。

 問題は親側にもありそうです。親自身もゲーム世代。安易にゲームを買い与えてしまう。ゲームをやらせておけば子どもは静か。待合室で子どもがゲームをしている横で親がスマホしか見ていない光景はよく見かけます。自分も良くスマホを使います。スマホが悪いと言いません。しかし子どもが話しかけてきたときは、一緒に遊びたがっているときはスマホを横に置いて欲しいのです。

 今のオンラインゲームと昔のゲームとはかなり違って、遥かに依存性が強いそうです。ゲゲーム障害になる前にそれを予防する必要があるようです。行政がゲームを規制する、あるいは警鐘を鳴らすことを願っていますが、さしあたって今、直面している子ども達をゲーム障害から守るには大人がしっかりその使用をセーブする必要があるのではないでしょうか。

 ゲームよりもっと面白いものがあれば良いのですが、ゲームってはまるように巧妙に作られているからなあ〜。

Diversity and Inclusion

 土曜日、小児科学会青森地方会の特別講演の講師は慶応大学小児科の教授でした。「Diversity and Inclusion」はその講演の中で出てきたフレーズです。講演のタイトルは「ヒトには6つの性がある(副題)」、ちょっと変わったタイトルです。その内容は、性を定義するには6つある。つまり染色体の性、性腺の性、内性器の性、外性器の性、gender identity、法律の性の6つの性。そしてそのそれぞれの性にDivercityつまり多様性がある。性を規定する染色体はXとYです。XYが男性、XXが女性。しかし1つの個体でXYとXXの両方の遺伝子が存在することがあるのだそうです。性腺にしても体の中に精巣と卵巣と両方を持つ人がいる。外性器にしても男性器と女性器の区別が難しいことがあることは知っていました。Gender identityに至っては極めて多様で、米国でFace Bookのアカウントを取得するときにはその性を選ぶのに〈男性・女性・その他〉があり、その他で60種類以上もの性を選択できるのだそうです。LGBT、元男性で今は女性とか、その逆、あるいは女性と男性のどちらでもないとか。それにしても60種類以上とは! 欧米社会はその性の多様性を受け入れている(include)が日本はまだまだ遅れているそうです。講演ではFace Bookをその例の1つとして出されました。
 Inclusionを一言で正確に訳す日本語の名詞はないようです。動詞のincludeは含まことを受け入れる、包み込むという意味でしょうか。

Diversity and Inclusion
 今社会は多様性を受入れ、共生して行くことが求められています。教育界ではインクルーシブ(inclusive)教育が提唱され、既にその実現に向かって動き出しています。性だけでなく、様々な障害を障害ではなく多様性と定義して、それを包み込む(include)必要があります。例えば発達障害はヒトの認知機能や性格の多様性ということですから共存は必然のことです。異質なものを排除する思想はあってはなりません。
インクルーシブ社会、世の中は確実にそこへ向かっているようです。

 慶応の先生だけあって話しはテンポ良く、あっという間の1時間でした。出身が同じ弘前大学と聞いて少し誇らしく思えました (^_^)v

第1回特別支援医教連携セミナー in 弘前

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 先週の土曜日、武道館で件名のセミナーが開催されました。1月の末、このブログにも載せたセミナーです。何と80名を超える参加者があり、大盛況の会となりました。参加者の8割方が学校の先生であとは医療関係者、療育関係者でした。小児科のDr.は僕を入れて3人。
さて、この会を仕掛けたのは僕自身でしたが、会場に入って驚きました。横断幕に「第1回特別支援医教連携セミナー」とデカデカと書いてありました。「えっ、第1回⁉」とうことは第2回もやるのですね。セミナーは例によって模擬授業で始まり、講演にレポート発表、当事者の発表、加村先生の講演、パネルディスカッションとテンポ良く進みました。秋田や岩手から来られた先生は津軽の教師はとても熱心だと驚いていらっしゃいました。

 子ども達の生活にとって学校は家庭と同じくらい、大きなウエイトを占める生活空間です。学校の先生の対応一つで子ども達は大きく変わります。医療ができることはごく限られていますが、自分にとってこういったセミナーをコーディネートすることも大きな役割の一つかしらとも思っていました。

 今週の土曜日、今度は僕が大館へ出掛けて講演してきます。ただ参加者が弘前と違って学校の先生が少ないのが残念です。保育士さん達が半分以上だそうですが、それはそれでとても良い機会だと思っています。
でもお話しの内容を少し変えなきゃなぁ〜 (^_^;

医教連携セミナー

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 以前、このブログ(2017年3月)で紹介した医教連携セミナーを弘前でも開催することになりました。大館の間嶋先生にお願いして、弘前に来てもらうことにしたのです。今回は医療機関側の講演を健生病院の加村先生にお願いしました。対象は発達障碍の診療に関わる医師、看護師、そして学校関係者。子役付きの模擬授業もあって、大変勉強になります。発達障碍の子ども達に対し医療機関が出来ることは少なく、保護者だけでなく、療育機関、園・学校との連携が大切だと考えています。関心のある方は是非ご参加ください。

日時:2月24日12:30〜16:00
会場:青森県武道館
参加申込みはkurotaki77mkt@yahoo.co.jp に
 件名 医教弘前 申込み 
 内容 1.氏名 2.メールアドレスまたは電話番号 3.住所 4.勤務先 で
参加費 教師・医師 2000円
    一般・学生 1000円 です。

子どもの義務

 日本も批准している「子どもの権利条約」の話題です。そのアイディアはポーランドの小児科医コルチャック先生によるものです。「コルチャック先生」は映画や演劇にもなっていてご存じの方も少なくないと思います。小児科医の彼は文筆業でも活躍し、その収入の多くを貧しい孤児のために使いました。そしてユダヤ人であった彼は収容所に入れられていた子ども達と共にナチスによってガス室に送られ、殺害されたのでした。

 さて、先々週東京で開催された日本乳幼児精神保健学会FOUR WINDSで、ある先生が「子どもの権利」ではなく「子どもの義務」と述べていました。全ての子どもは幸せになる義務がある。権利ではなくて義務。大人は子どもを幸せにする責任があるということでしょう。権利ならその権利を行使しないという選択もあるわけで、そうではなくて子どもは幸せにならなければならない。大人は子どもを幸せにしなければならない。なるほどなと思いました。

ユニセフのHPに詳しく書いてあります。
「子どもの権利」の4つの柱とは
1.生きる権利
2.育つ権利
3.守られる権利
4.参加する権利

 子どもの権利条約では親が親としての責任を行使できるよう国はそれを支援することを締約国に義務づけています。さて、それを批准している日本はその義務を十分に果たしていると言えるでしょうか・・・。

 昨年、FOUR WINDSでコルチャック先生の足跡をたどるツアーを企画していました。行きたいのは山々でしたが、そんなにクリニックを休めず諦めました。リタイヤしたら行ってみたい国の一つです。


追記:昨日アップした記事を読み返し、義務やら権利やらなどと書くときっと脅迫的に感じる人もいるのではないか?などと思い直しました。
要は国が、地域社会が如何に家族を支援して行くかが大切なのでしょう。

スペクトラム

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『スペクトラム』 元々は物理学で連続体のことをいいます。よく目にするスペクトラムが空の虹です。これは光のスペクトラム。光をプリズムで分解すると波長の短い紫色から波長の長い赤色まで連続的に分かれますが、決して七つの虹色にくっきり境がある訳ではありません。
 最近はスペクトラムというと自閉症スペクトラムがよく知られるようになりました。それで医療や療育関係者の間ではあの子はスペクトラムだなんて言うのを聞いたりします。これは自閉症の特性の強い子から、ほんの少しその特性を持つ定型発達(=正常)に近い子まで連続している事からそう呼ばれるようになりました。スペクトラムを言い換えると多様性ということでしょうか。僕自身、多少の自閉的特性を持っていると思います。師長の赤平は多少のADHDの要素を持っています。しかし社会生活上、取りあえず大きな困難は抱えていないので、そうは診断しません。一方、特性の強い子は早期に自閉症と診断されて療育に入ることで良い所を少しでも伸ばして、社会生活への適応を図ります。

 さて問題は、ある程度特性を持つもののそれと診断するのが難しい子ども達です。先の日曜日、秋田で開かれた小児心身医学会東北地方会。その大会長講演は秋田療育センターのW先生でした。彼の考えは様々な身体症状を訴える子がいる。その子達が自閉症の特性を少しでも持つならさっさと診断して然るべき対応を取ると講演しました。

 随分乱暴だと思いました。然るべき対応は必要ですが、僕はその子の行動、症状の意味を考えたいと思っています。そして環境調整を図る。そこに診断名は必要ではないと思うのです。極論すればどんな発達障害の子だって診断する必要は無い。診断すべきは病名ではなく、支援の方向です。本来なら診断名は不要なのです。

 そんな訳で僕は積極的に診断を付けることはしないようにしていました。そもそもが多様な子ども達なのですから、色んな子がいて良いんじゃないかと思うのです。
 僕の考えも乱暴なのかなあ・・・。

自分のことを知るだけ

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「深夜の保護者会」、NHKの番組です。
日曜日の夜の番組に発達障害の子どもを持った親達が集まっていました。
その中でY君のお母さんが「自分は障害とYちゃんとは別のものと考えるようにしたら楽になった。Yちゃんが悪いのではなく、Yちゃんにこんな事をさせる障害が悪い、そう考えると気持ちが楽になった。Yちゃん自体を嫌いにならなくなった。」それを聞いたY君は「そういう考えは止めて欲しいな。自分と障害は別じゃない。」「自分のことを知るだけ。知ればちょっと楽になる。知って、上手く付き合って行けたら気持ちは楽になる。」それを聞いたお母さんは「親の考えているのと子どもの考えているのとが違った。子どもの方が上を行っている」と感心していました。

 ありのままを受け止めることは大切なのでしょうが、理想の子ども像が大きければ大きいほど、現実を受容することは大変です。子どもの方にも親の期待に応えたいという思いと今の自分との間にギャップがあります。心から受容できて、親が子どもの気持ちを尊重できたとき、お互いが楽になるのでしょう。

 最近、NHKで発達障害をテーマにした良い番組が沢山作られています。僕も親の本音を聞けてとても参考になりました。
それにしてもY君、凄いよ!

PとN

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 先日、愛着障害の講演を頼まれた秋田の親力・教師力アップセミナーでシンポジウムがありました。そのシンポジウムで知り合いの臨床心理士がPとNの話しをしました。Pとはポジティヴ、Nとはネガティヴです。すなわち人の心にはPとNとがある。Nの気持ちと言葉で子どもに接すると、子どもからはNの反応が返ってくる。しかしPの気持ちと言葉で接すると、子どもからはPの反応が返ってくる。分かりやすいなと思いました。
 つい親は子どものできないところにばかりに目が行ってしまいます。もちろんそれは子どもへの期待が大きいことの現れでしょうが、それを言葉にしてしまうと、子どもからは反発する言葉と態度しか帰ってきません。褒めて育てろとはよく言います。でも褒めるのも容易ではない。褒め言葉なんて出てこないのが普通です。褒めるのにも練習が必要なのです。しかし、褒めなくてもいいから、今、出来ていることを認めて、頑張っていることを認めてあげるだけで構いません。それが肯定的なメッセージになります。それで子どもは素直に育ちます。

 さて、話しは変わりますが、先週火曜日朝6時、サイレンの音が鳴り響きました。空襲警報を連想した方も多かったのではないでしょうか。国と国との対応もPとNではないでしょうか。Pの対応で国交を行うと上手くいくのではないかと思うのは甘い考えなのでしょうかね。北朝鮮もアメリカも、そして日本の政府の対応も不安でなりません。

写真は去年、長崎で撮った平和祈念像です。

4つのS

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日曜日、FOUR WINDSのセミナーに参加してきました。
今回は渡辺久子先生の講義。
今日のタイトルはその講義の中で出てきた日本文化の特徴を言い表した4つのキーワードの頭文字です。
それは
Simple 簡素で
Small 小さく
Slow ゆったりと
Silent 静寂な文化

確かに日本の文化は慎み深く質素、それでいて緻密です。絢爛豪華なものは少ない。しかしその4つのSはSustainable(継続可能な)もの。煌びやかに着飾るものより続けることが容易なものです。そしてそれは子育てにも当てはまります。
子どもは「甘えと遊び」で育ちます。高額な玩具などなくても、子ども達は工夫して自分で遊びを作り出します。穏やかで思いやりのある環境で見守られ、のびのびと遊ぶことで子どもの心は健やかに育ちます。

 先日、テレビのニュースで、ある自治体が夏休みを10日に短縮することを決めたとありました。理由は英語の授業時間の確保と、1日の授業数を削減し、教員の繁忙を解消するため。それに対しての保護者の反対意見は夏休みに部活に出られなくなる・・・
う〜ん、どっちもどっちだ。
自分が子どもの頃、夏休みはのびのびと自由に遊んでいました。友達と遊んだり、家族でキャンプに行ったり。遊びを通して子どもは色んな事を学んで行きます。友達と遊ぶことで社会性も育ちます。
さて、今の子ども達はのびのびと遊ぶことが出来ているでしょうか。

外来で真っ黒に日焼けした子どもを見るとほっとします。
「先生より黒いね。先生、負けた。お外で一杯遊んでいるんだね。」
「今日ね、これからザリガニを捕りに行くんだよ」
津軽の子ども達はまだまだ健全なようです \(^O^)/

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