記事一覧

『ない』ことの証明

ファイル 553-1.jpg

 今年のノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑先生がノーベル賞受決定後の初公演で、子宮頸がんワクチン問題について取り上げ、現在の「日本は国際的に見ても恥ずかしい状況」とコメントしたそうです。「科学では『ない』ということは証明できない。『ある』ものが証明できないことはない。『証明できない』ということは科学的に見れば、子宮頸がんワクチンが危険だとは言えないという意味だ」と述べ、「なぜこれを報道しないのか」「ルワンダなど(リソースの少ない国)でもワクチンを導入して子宮頸がんが減っている」「このことに関してマスコミの責任は大きいと思う」と述べられたそうです。
 先生は厚労大臣を訪問し、子宮頸がんワクチンの積極的接種再開の要請を行ったそうで、以前から医療経済やQOLの観点からワクチンを初めとする予防医療の重要性を繰り返し訴えていたと医学系のネットニュースに出ていました。現在の日本の状況を憂いておられるのでしょう。

 世界中で子宮頸がんが減少している中、日本だけが増加しているそうです。もし仮に神経症状のように見える副反応が子宮頸がんワクチンが原因だったとしても、その発生率は極めて低く、子宮頸がんに罹患するリスクとは比較にならないものです。自分の娘には接種しましたし、当院のスタッフも皆、自分の娘に接種しています。感情的なワクチン忌避論に左右されることなく、自分の判断で接種していただくことを願っています。

そう言えば、満員電車で痴漢と間違われ、無実を晴らすのに大変な思いをした話がテレビで出ていました。これも似たようなものでしょう。外来診療でも同じです。『ない』ことの証明はとても困難なのです。

 写真は二の丸辰巳櫓です。冬の弘前公園も良いですね。
やっぱりスマホのカメラは画質がいまいちですね。カメラを持って行けば良かった。
(^_^;

吃音のこと

ファイル 551-1.jpg

 吃音、どもりのことです。
青森県かかりつけ医等発達障害対応力向上研修会、なんとも長い名前の研修会ですが、その研修会が日曜日に青森でありました。国の指示で発達障害の子ども達への対応を一般のかかりつけ医でも出来るようになることを目的として企画されたもののようです。今回2回目となるその研修会で吃音が取り上げられました。今、国では吃音や発達性協調運動障害(とっても運動が苦手な子)を発達障害の一つとして扱おうということになったそうです。
 実は僕自身に吃音があり、子どもの頃ことばの教室に通いましたし、高校の頃、辛い思いをした記憶もあります。今ではそれほど目立たなくなりましたが、完全には治っていません。講演で実際の吃音のフィルムが上映されると、それに同調してまた自分の吃音が悪くなるのではないかと胸が苦しくなりました。
そうか、自分も発達障害か・・・(^_^; 。

 時々、吃音の相談を受けます。以前、吃音に有効な治療はないと学びましたが、若しかすると何か有効な方法があるのかもと期待して講演を聴いていました。2人で一緒に文章を読むとどもらないとか、メトロノームに合わせた文章朗読でどもらない、など興味ある情報はありましたが、結局の所、やはり有効な治療法はないようです。ただ、軽快はしても、ほとんどそのまま一生治らないと覚えていたのですが、男児の6割、女児で8割の子が3年で自然回復するとありました。しかし小学校2年生ではっきり吃音のある子は思春期までは続くそうです。
 吃音は急激な言語発達の副産物とありました。けっして親の躾や環境の問題が原因ではありません。しかし自分の経験では心的ストレスが発症の引き金になることはあると考えています。吃音のある人は大脳の右半球の過活動があるそうですが、それはちょっと急激な言語発達とは合わない気もします。まあ原因や病態については今でも良く分かっていないのでしょうね。

 さて、治らなかった場合ですが、一番の問題は周囲の無理解です。周りからふざけるなと非難されたり、馬鹿にされたり、言い直しを無理強いさせたり・・・。それが元ででますます精神的な緊張を強いられ吃音が酷くなり、挙げ句の果てに人前で何も話せなくなったりします。吃音の対応で大切なことは、周囲がどもってもいいんだよと穏やかに聞いてあげることです。

 社会の自閉症などの発達障害に対する理解は少しずつ進んでいます。国が吃音を発達障害の一つとして対応するように求めた理由の一つは、吃音に対する社会の理解を促すことが目的でしょう。
もし貴方の周りに吃音の子がいたら、温かい目で見守ってあげてくださいね。

写真は2週間前に撮った弘前公園の紅葉です。もう紅葉も終わりですね。

インフルエンザワクチンの有効性

ファイル 550-1.jpg

 当院では3歳以上でこれまでに2回以上しっかりとインフルエンザワクチンを接種してある子は1回でいいよとお話ししています。しかし他の医療機関では小学生までは2回接種としている所が多く、不安に思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。厚労相の方針もそうなっており、添付文書にもそう書いてあります。

 先週の土曜日、つがる小児科医の会の学術講演会がありました。講師は大阪医市立大学公衆衛生学の教授のF先生です。まだ若い女性の教授でしたが、理路整然と分かり易く、とても面白い勉強になる講演でした。講演のテーマはインフルエンザワクチンの有効性についての疫学、統計学的な評価。皆さんも興味ありますよね。インフルエンザワクチンを接種していても罹ることはよくある訳で、本当に有効なの?と疑問に思われても仕方ありません。今日はその講演から。

 ある研究でインフルエンザワクチンの有効率を約25%と算出したのだそうです。しかしF先生がその研究の妥当性を再評価したところ、それは低すぎる、バイアス(偏り)が掛かっているとの結論で、出来るだけバイアスを排除した別の手法(Test-negative design)を用いて6歳未満児のインフルエンザワクチンの有効性を検討したところ、年によって差はありますが40〜60%だったそうです。その値は臨床的な印象とも合うように思います。そしてワクチンの1回接種の有効性の検討では過去に2回以上接種してあれば、2回接種と同等の効果とありました。
 これまで当院では、血液検査の抗体獲得の報告を参考に1回接種を勧めていましたが、疫学的な調査からも1回接種で充分なようで、講演を聴きながらほっと胸をなで下ろしました。ただ残念だったのは、ワクチンで脳症などの重症合併症の予防効果について質問したところ、その検討の国内での報告はないのではないかとのことでした。市内のS先生は2回接種してあっても脳症を合併した例を経験したと言っていました。インフルエンザの接種濃霧に関わらず合併症に対する注意は必要のようです。


 ところでインフルエンザワクチンの有効性60%とは100人にワクチンを接種すれば60人で効くという値ではありません。これはインフルエンザを発症した人のワクチン接種者と非接種者と相対評価で、ワクチンをやらずに発病した人のうち60%は接種していれば発症しなかったという値です。ちょっと分かりにくいですよね。
 もともとインフルエンザは何度か罹患するうちに免疫ができます。その免疫でワクチンをやらなくても罹らずに済む子も多いのですから、ますますワクチンの有効性を評価するのが困難になります

 少し残念なワクチンですが、まあ有効率50%前後ということで納得するしかないのでしょう。

いじめを考える その2

ファイル 549-1.jpgファイル 549-2.jpg

先週に引き続きいじめをテーマにします。
厚労相はいじめの定義を「児童生徒が、当該児童生徒が在籍する等当該児童生徒と一定の人間関係のある他の児童生徒が行う心理的・物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」としています。
簡単に要約すれば「被害者が心身の苦痛を感じる行為は全ていじめ」ということでしょう。
いじめの定義を厚労相は時代に対応できるよう何度も変えてきています。行政は指導するために一定の定義が必要なのでしょうが、その対応は簡単ではありません。

これって「いじめ」?
事例①:球技が苦手はA君は、体躯の時間のバスケットボールの試合でのミスを他の子から責められたり、皆の前で馬鹿にされて嫌な気持ちになった。

事例②:Aさんは、算数の難しい問題を自分の力で解きたくて頑張って考えていました。それを横で見ていたBさんが「答えは○○だよ」と正解を終えたところ、Aさんは「自分でやりたかったのに!」と泣き出しました。

実際に厚労相が出した例題だそうで、どちらもいじめとしていますが、本当にそうでしょうか。いじめには加害者と被害者との関係性と、その行為の継続性が大きく関わると思うのです。悪気が無くても人を傷つけていることはよくあります。しかしどこからがいじめなのかは人によって判断が異なります。つまり同じ行為でもそれがいじめになることもあれば、ならないこともある。ただ行政としてはそれでは一律の対応ができませんから、全てをいじめとして対応すべきと言うのでしょう。それはそれで正しいとは思います。しかし十把一絡げの対応では歪みが生まれるのではないかと危惧します。先ずは悔しかったんだねと受け止め、加害者側の気持ちをも尊重し、それぞれに背景と対応を探って行く必要があるのだと思います。

今週の写真は既に晩秋の蔦沼です。先の連休、膝が治らず山へ行けない代わりに、蔦沼を散策していました。

いじめを考える

ファイル 548-1.jpgファイル 548-2.jpg

 先週の日曜日、仙台で日本小児科医会の主催するカウンセリングセミナーに参加してきました。テーマはいじめと不登校。何か自分の診療のヒントを得られればと参加したのでした。講義はそこそこ面白くはありましたが、残念ながら自分の知りたかったこととはほど遠い内容でした。テーマが広すぎ、掘り下げるには深すぎたからなのでしょうか。

 小中学校の生徒へのアンケートでは9割の子どもがいじめの被害者、あるいは加害者としての経験があるそうです。いじめは子どもに限りません。大人社会でもあるのですから、若しかすると人が人である限りいじめはなくならないのかも知れません。いじめの根源は人間の欲にあるように思います。人は様々な欲の塊であるからこそ、ひがみや妬みが生まれ、それがいじめを生むのでしょう。しかしその欲は人間の営みそのものでもあるのですから、それを否定はできません。欲をなくし生きることができるか・・・なんだか宗教的になってきました。

 いじめがきっかけで不登校となり受診する子ども達はいますが、逆にいじめの加害者側が受診することはまずありません。いじめをする側は自分の行為をいじめと思っていないこともあるのでしょうが、その背景には被害者側より更に深い精神病理が潜んでいることが少なくないようです。しかしそれが受診に繋がることはないのです。

 今でも中学の国語の先生が授業で言っていたのを思いだします。優しさとは人の気持ちが分かることだと。今の社会に必要な教育とは共感性を養う教育ではないでしょうか。社会秩序の源は共感性にあると考えています。

写真は沖揚げ岱の唐松林です。

希望橋

ファイル 545-1.jpgファイル 545-2.jpg

今年の日本乳幼児精神保健学会FOUR WINDSは旭川で開催されました。海外招聘講師はロバート・エムディ先生。世界乳幼児精神保健学会の創設者の1人で、愛着や赤ちゃんの心の研究の第一人者です。エムディの研究の一つに「情緒応答性」があります。それは赤ちゃんが自分の欲求や衝動、あるいは快不快など様々な感情を声の抑揚や表情、体の動き、泣き声であわらしたとき、お母さん(養育者)がその行動を共感的に受け止め、赤ちゃんの気持ちを理解し、赤ちゃんが自分の情動に対応できるよう適切に反応を返すことをさします。そこから自己信頼と他者信頼の感情を獲得し、安定した対人関係を構築する能力の基盤を発達させて行きます。

簡単に言えば、情緒応答性とは赤ちゃんの気持ちに寄り添って、お母さんが上手に反応を返してあげることです。適切な情緒応答性が示されることで、赤ちゃんは自分自身や人を信頼する力を身につけ、人と人との関係を作る土台が生まれるのです。

旭川には昼頃到着し、夜の幹事会までの間を利用し車を借りてドライブしてきました。写真は美瑛町の「希望橋」です。この橋から少し行ったところに望岳台があり、十勝岳の雄姿を望むことができます。橋の下には北海道の広大な大地が広がっていました。

子ども遊ばせ隊

ファイル 543-1.jpg

日曜日、十和田のT先生が主催した遊びのワークショップに参加してきました。講師は富山県の早川たかし先生。早川先生は長く養護教育に携わってきた先生で、退職後「子ども遊ばせ隊」というNPO法人を立ち上げ、富山市の里山に一軒家を手に入れ、住めるように補修。不登校などの子ども達を呼び、一緒に遊んでいる先生です。その先生の講演は「子ども遊ばせ隊は本当は大人を遊ばせたいなんです」という言葉で始まりました。
子どもは遊びの中で育ちます。今の子ども達はのびのびと遊べているでしょうか。ゲームばかりで外遊びが足りないのではありませんか?子どもを遊ばせるにはまず親が童心に返り、遊びを思い出し、一緒に遊ぶことが必要です。先週のブログにゲームより面白いものがあれば良いのですがと書きました。ただゲームを止めろと叫んだところで子どもとの溝が大きくなるばかりです。ゲームより面白い遊びを大人も一緒に遊べば良いのです。WSはサソリのびっくり箱から始まり、参加者全員で皿回しやけん玉で遊びました。しかし皿回しやけん玉も面白いのですが、それはきっかけに過ぎないように思います。そこから子ども達と自由な遊びの世界に入って行けば良いのではないでしょうか。

昔、子どもの頃、けん玉を随分練習し、自分で言うのもなんですが、かなり上手でした。しかし久し振りのけん玉は難しかったです。思うように玉が乗りません。悔しくてまた練習を始めました。ボケ防止にも良いですよ。

インターネット・ゲーム障害

 タイトルの障害名が精神科の診断名として正式に採用されました。確か最近、報道でも取り上げられていたように思います。先週参加した外来小児科学会年次集会でそのゲーム障害の教育講演がありました。
講演の要旨をまとめると
1.精神科を受診するゲーム障害の2/3が未成年
2.男女比は7〜8:1
3.全体の90%以上はオンラインゲームに依存
4.ネット依存の健康・社会生活への影響は大きく、遅刻、欠席、成績低下、親への暴言・暴力、昼夜逆転、ひきこもり・・・
5.自閉症スペクトラム障害やADHD、社交不安障害などとも合併頻度が高い
6.依存性は強固で治療は困難
7.場合によっては入院治療、しかしその施設は限られる・・・

 以前から不登校の子ども達が家でゲームばかりして、昼夜逆転している状況を見てきました。彼らがゲームに熱中しているのは他にやることがないからということも多いようです。つまりゲームをしているから不登校になるわけではありません。しかしそれが度を超すと依存症となって様々な問題を引き起こしてしまいます。特にネットで繋がるオンラインゲームは依存性が高いそうです。

 問題は親側にもありそうです。親自身もゲーム世代。安易にゲームを買い与えてしまう。ゲームをやらせておけば子どもは静か。待合室で子どもがゲームをしている横で親がスマホしか見ていない光景はよく見かけます。自分も良くスマホを使います。スマホが悪いと言いません。しかし子どもが話しかけてきたときは、一緒に遊びたがっているときはスマホを横に置いて欲しいのです。

 今のオンラインゲームと昔のゲームとはかなり違って、遥かに依存性が強いそうです。ゲゲーム障害になる前にそれを予防する必要があるようです。行政がゲームを規制する、あるいは警鐘を鳴らすことを願っていますが、さしあたって今、直面している子ども達をゲーム障害から守るには大人がしっかりその使用をセーブする必要があるのではないでしょうか。

 ゲームよりもっと面白いものがあれば良いのですが、ゲームってはまるように巧妙に作られているからなあ〜。

Diversity and Inclusion

 土曜日、小児科学会青森地方会の特別講演の講師は慶応大学小児科の教授でした。「Diversity and Inclusion」はその講演の中で出てきたフレーズです。講演のタイトルは「ヒトには6つの性がある(副題)」、ちょっと変わったタイトルです。その内容は、性を定義するには6つある。つまり染色体の性、性腺の性、内性器の性、外性器の性、gender identity、法律の性の6つの性。そしてそのそれぞれの性にDivercityつまり多様性がある。性を規定する染色体はXとYです。XYが男性、XXが女性。しかし1つの個体でXYとXXの両方の遺伝子が存在することがあるのだそうです。性腺にしても体の中に精巣と卵巣と両方を持つ人がいる。外性器にしても男性器と女性器の区別が難しいことがあることは知っていました。Gender identityに至っては極めて多様で、米国でFace Bookのアカウントを取得するときにはその性を選ぶのに〈男性・女性・その他〉があり、その他で60種類以上もの性を選択できるのだそうです。LGBT、元男性で今は女性とか、その逆、あるいは女性と男性のどちらでもないとか。それにしても60種類以上とは! 欧米社会はその性の多様性を受け入れている(include)が日本はまだまだ遅れているそうです。講演ではFace Bookをその例の1つとして出されました。
 Inclusionを一言で正確に訳す日本語の名詞はないようです。動詞のincludeは含まことを受け入れる、包み込むという意味でしょうか。

Diversity and Inclusion
 今社会は多様性を受入れ、共生して行くことが求められています。教育界ではインクルーシブ(inclusive)教育が提唱され、既にその実現に向かって動き出しています。性だけでなく、様々な障害を障害ではなく多様性と定義して、それを包み込む(include)必要があります。例えば発達障害はヒトの認知機能や性格の多様性ということですから共存は必然のことです。異質なものを排除する思想はあってはなりません。
インクルーシブ社会、世の中は確実にそこへ向かっているようです。

 慶応の先生だけあって話しはテンポ良く、あっという間の1時間でした。出身が同じ弘前大学と聞いて少し誇らしく思えました (^_^)v

第1回特別支援医教連携セミナー in 弘前

ファイル 522-1.jpg

 先週の土曜日、武道館で件名のセミナーが開催されました。1月の末、このブログにも載せたセミナーです。何と80名を超える参加者があり、大盛況の会となりました。参加者の8割方が学校の先生であとは医療関係者、療育関係者でした。小児科のDr.は僕を入れて3人。
さて、この会を仕掛けたのは僕自身でしたが、会場に入って驚きました。横断幕に「第1回特別支援医教連携セミナー」とデカデカと書いてありました。「えっ、第1回⁉」とうことは第2回もやるのですね。セミナーは例によって模擬授業で始まり、講演にレポート発表、当事者の発表、加村先生の講演、パネルディスカッションとテンポ良く進みました。秋田や岩手から来られた先生は津軽の教師はとても熱心だと驚いていらっしゃいました。

 子ども達の生活にとって学校は家庭と同じくらい、大きなウエイトを占める生活空間です。学校の先生の対応一つで子ども達は大きく変わります。医療ができることはごく限られていますが、自分にとってこういったセミナーをコーディネートすることも大きな役割の一つかしらとも思っていました。

 今週の土曜日、今度は僕が大館へ出掛けて講演してきます。ただ参加者が弘前と違って学校の先生が少ないのが残念です。保育士さん達が半分以上だそうですが、それはそれでとても良い機会だと思っています。
でもお話しの内容を少し変えなきゃなぁ〜 (^_^;

ページ移動