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いじめを考える その2

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先週に引き続きいじめをテーマにします。
厚労相はいじめの定義を「児童生徒が、当該児童生徒が在籍する等当該児童生徒と一定の人間関係のある他の児童生徒が行う心理的・物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」としています。
簡単に要約すれば「被害者が心身の苦痛を感じる行為は全ていじめ」ということでしょう。
いじめの定義を厚労相は時代に対応できるよう何度も変えてきています。行政は指導するために一定の定義が必要なのでしょうが、その対応は簡単ではありません。

これって「いじめ」?
事例①:球技が苦手はA君は、体躯の時間のバスケットボールの試合でのミスを他の子から責められたり、皆の前で馬鹿にされて嫌な気持ちになった。

事例②:Aさんは、算数の難しい問題を自分の力で解きたくて頑張って考えていました。それを横で見ていたBさんが「答えは○○だよ」と正解を終えたところ、Aさんは「自分でやりたかったのに!」と泣き出しました。

実際に厚労相が出した例題だそうで、どちらもいじめとしていますが、本当にそうでしょうか。いじめには加害者と被害者との関係性と、その行為の継続性が大きく関わると思うのです。悪気が無くても人を傷つけていることはよくあります。しかしどこからがいじめなのかは人によって判断が異なります。つまり同じ行為でもそれがいじめになることもあれば、ならないこともある。ただ行政としてはそれでは一律の対応ができませんから、全てをいじめとして対応すべきと言うのでしょう。それはそれで正しいとは思います。しかし十把一絡げの対応では歪みが生まれるのではないかと危惧します。先ずは悔しかったんだねと受け止め、加害者側の気持ちをも尊重し、それぞれに背景と対応を探って行く必要があるのだと思います。

今週の写真は既に晩秋の蔦沼です。先の連休、膝が治らず山へ行けない代わりに、蔦沼を散策していました。

いじめを考える

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 先週の日曜日、仙台で日本小児科医会の主催するカウンセリングセミナーに参加してきました。テーマはいじめと不登校。何か自分の診療のヒントを得られればと参加したのでした。講義はそこそこ面白くはありましたが、残念ながら自分の知りたかったこととはほど遠い内容でした。テーマが広すぎ、掘り下げるには深すぎたからなのでしょうか。

 小中学校の生徒へのアンケートでは9割の子どもがいじめの被害者、あるいは加害者としての経験があるそうです。いじめは子どもに限りません。大人社会でもあるのですから、若しかすると人が人である限りいじめはなくならないのかも知れません。いじめの根源は人間の欲にあるように思います。人は様々な欲の塊であるからこそ、ひがみや妬みが生まれ、それがいじめを生むのでしょう。しかしその欲は人間の営みそのものでもあるのですから、それを否定はできません。欲をなくし生きることができるか・・・なんだか宗教的になってきました。

 いじめがきっかけで不登校となり受診する子ども達はいますが、逆にいじめの加害者側が受診することはまずありません。いじめをする側は自分の行為をいじめと思っていないこともあるのでしょうが、その背景には被害者側より更に深い精神病理が潜んでいることが少なくないようです。しかしそれが受診に繋がることはないのです。

 今でも中学の国語の先生が授業で言っていたのを思いだします。優しさとは人の気持ちが分かることだと。今の社会に必要な教育とは共感性を養う教育ではないでしょうか。社会秩序の源は共感性にあると考えています。

写真は沖揚げ岱の唐松林です。

大自然レポート:実りの秋

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良く晴れた日曜日の朝、まだ膝の調子は思わしくありませんでしたが、青空に誘われ、多分自転車なら大丈夫と弥生を回り岩木山神社を目指しました。赤いリンゴがたわわに実り、見ているだけでも幸せを感じます。

昼からはバイクで八甲田へと向かいました。笠松峠の紅葉が終わる頃、谷地温泉から八甲田の北側を回る道の紅葉が見頃を迎えます。紅葉に輝くこの道を走るのが好きで、毎年10月中旬に走るのを恒例としていました。右の写真は谷地湿原ですが、既に棚の上の方の紅葉は終盤でした。

もうすぐ山では雪の季節を迎えます。
バイクも自転車もあと1ヶ月で冬眠です。

八甲田レポート:紅葉

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 10月の連休の初日は孫息子を連れて里帰りした娘に食べさせようと一日掛けてカレー作り。台風一過となった2日目、まだ膝が治っていないのにも関わらず、今を逃してはならないと八甲田へと出掛けました。毛無岱で引き返すつもりでしたが、いざ登り始めたら途中で引き返すのがなかなかできない性分で、結局いつものコースを歩いていました。
 里は良かったのですが、山の天気の回復は遅れ、酸ヶ湯より上はまだ雲の中でした。結局毛無岱の紅葉を愛でることは叶わず、来年までのお預けです。

 ところで膝の方は登りは快調、しかしやはり下りで痛み出し、休み明けは平地を歩くのにも難儀し湿布しています。整形外科を受診はしたいのですが、インフルエンザのワクチンも始まりなかなか休診にできず、少し暇になるまで様子をみることにします。

希望橋

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今年の日本乳幼児精神保健学会FOUR WINDSは旭川で開催されました。海外招聘講師はロバート・エムディ先生。世界乳幼児精神保健学会の創設者の1人で、愛着や赤ちゃんの心の研究の第一人者です。エムディの研究の一つに「情緒応答性」があります。それは赤ちゃんが自分の欲求や衝動、あるいは快不快など様々な感情を声の抑揚や表情、体の動き、泣き声であわらしたとき、お母さん(養育者)がその行動を共感的に受け止め、赤ちゃんの気持ちを理解し、赤ちゃんが自分の情動に対応できるよう適切に反応を返すことをさします。そこから自己信頼と他者信頼の感情を獲得し、安定した対人関係を構築する能力の基盤を発達させて行きます。

簡単に言えば、情緒応答性とは赤ちゃんの気持ちに寄り添って、お母さんが上手に反応を返してあげることです。適切な情緒応答性が示されることで、赤ちゃんは自分自身や人を信頼する力を身につけ、人と人との関係を作る土台が生まれるのです。

旭川には昼頃到着し、夜の幹事会までの間を利用し車を借りてドライブしてきました。写真は美瑛町の「希望橋」です。この橋から少し行ったところに望岳台があり、十勝岳の雄姿を望むことができます。橋の下には北海道の広大な大地が広がっていました。

八甲田レポート:初秋

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先週、書くだけ書いて、更新するのを忘れていたブログです。
久し振りの大自然レポート、折角なので更新しますね。


膝痛も随分と軽快し、天気予報は晴れマーク。そろそろ山を登ってみようと日曜日、八甲田へ出掛けました。南アルプス仙丈ヶ岳を登って以来2ヶ月ぶりの山行でした。

里は快晴でしたが、山の天気の回復は遅れ、まだ上部は雲の中でした。9月も下旬となり、山では既に紅葉が始まっていました。毛無岱は一面の草紅葉。ウルシやナナカマドが紅く色づき始めていました。ただ台風で飛ばされたのか既に葉が散ってしまった樹木も多く、また夏が比較的涼しかった影響か色付く前に枯れ始めた葉も多くみれれました。今年の紅葉はあまり美しくはないかも知れません。毛無岱の紅葉の見頃は例年通りに10月上旬でしょう。

今回の山行は自分の膝の回復状態を確認する目的もありました。日常ではほとんど痛みはありません。しかしやはり山の下りで痛み出し、酸ヶ湯にたどり着く頃には強い痛みで平地を歩くのにも難儀するほどでした。やはり手術が必要なのかしら。もう一度、整形外科を受診しようかと思っています。

子ども遊ばせ隊

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日曜日、十和田のT先生が主催した遊びのワークショップに参加してきました。講師は富山県の早川たかし先生。早川先生は長く養護教育に携わってきた先生で、退職後「子ども遊ばせ隊」というNPO法人を立ち上げ、富山市の里山に一軒家を手に入れ、住めるように補修。不登校などの子ども達を呼び、一緒に遊んでいる先生です。その先生の講演は「子ども遊ばせ隊は本当は大人を遊ばせたいなんです」という言葉で始まりました。
子どもは遊びの中で育ちます。今の子ども達はのびのびと遊べているでしょうか。ゲームばかりで外遊びが足りないのではありませんか?子どもを遊ばせるにはまず親が童心に返り、遊びを思い出し、一緒に遊ぶことが必要です。先週のブログにゲームより面白いものがあれば良いのですがと書きました。ただゲームを止めろと叫んだところで子どもとの溝が大きくなるばかりです。ゲームより面白い遊びを大人も一緒に遊べば良いのです。WSはサソリのびっくり箱から始まり、参加者全員で皿回しやけん玉で遊びました。しかし皿回しやけん玉も面白いのですが、それはきっかけに過ぎないように思います。そこから子ども達と自由な遊びの世界に入って行けば良いのではないでしょうか。

昔、子どもの頃、けん玉を随分練習し、自分で言うのもなんですが、かなり上手でした。しかし久し振りのけん玉は難しかったです。思うように玉が乗りません。悔しくてまた練習を始めました。ボケ防止にも良いですよ。

インターネット・ゲーム障害

 タイトルの障害名が精神科の診断名として正式に採用されました。確か最近、報道でも取り上げられていたように思います。先週参加した外来小児科学会年次集会でそのゲーム障害の教育講演がありました。
講演の要旨をまとめると
1.精神科を受診するゲーム障害の2/3が未成年
2.男女比は7〜8:1
3.全体の90%以上はオンラインゲームに依存
4.ネット依存の健康・社会生活への影響は大きく、遅刻、欠席、成績低下、親への暴言・暴力、昼夜逆転、ひきこもり・・・
5.自閉症スペクトラム障害やADHD、社交不安障害などとも合併頻度が高い
6.依存性は強固で治療は困難
7.場合によっては入院治療、しかしその施設は限られる・・・

 以前から不登校の子ども達が家でゲームばかりして、昼夜逆転している状況を見てきました。彼らがゲームに熱中しているのは他にやることがないからということも多いようです。つまりゲームをしているから不登校になるわけではありません。しかしそれが度を超すと依存症となって様々な問題を引き起こしてしまいます。特にネットで繋がるオンラインゲームは依存性が高いそうです。

 問題は親側にもありそうです。親自身もゲーム世代。安易にゲームを買い与えてしまう。ゲームをやらせておけば子どもは静か。待合室で子どもがゲームをしている横で親がスマホしか見ていない光景はよく見かけます。自分も良くスマホを使います。スマホが悪いと言いません。しかし子どもが話しかけてきたときは、一緒に遊びたがっているときはスマホを横に置いて欲しいのです。

 今のオンラインゲームと昔のゲームとはかなり違って、遥かに依存性が強いそうです。ゲゲーム障害になる前にそれを予防する必要があるようです。行政がゲームを規制する、あるいは警鐘を鳴らすことを願っていますが、さしあたって今、直面している子ども達をゲーム障害から守るには大人がしっかりその使用をセーブする必要があるのではないでしょうか。

 ゲームよりもっと面白いものがあれば良いのですが、ゲームってはまるように巧妙に作られているからなあ〜。

そのままでいいがな

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 今年の外来小児科学会年次集会は東京の国際フォーラムで開催されました。その国際フォーラムに「相田みつを美術館」があります。それは知っていたのですが、これまでそこへ行く機会がありませんでした。今回、学会の会場がその国際フォーラムということもあって、時間を見付けて美術館に入ってみました。もちろん相田みつをさんは今では誰しも知る有名な書家です。自分で詩を書いて、それを独特のタッチで書いた数々の作品は多くの人を引きつけ、心を動かしました。美術館には外来で子ども達に伝えたいフレーズが沢山ありまた。
彼の作品がこれほど人を引きつけるのは「飾らなくていい、今のままのあなたでいい」というメッセージに溢れているからでしょう。
心を動かされるのは、頑張らなくてはと追い詰められている自分への癒やしになるからでしょうか。

色紙を二つだけ買ってきました。
「そのままでいいがな」
「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」

早速、クリニックに飾りました。

敬称 etc.

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病院の受付で名前を呼ばれるとき、「○○様」と呼ばれることが多いかと思います。おそらく接遇の講習などでそう指導されたのでしょう。しかし「○○様」と呼ばれると、どうもよそよそしく距離感を感じます。普通に「○○さん」で良いように思うのですが、皆さんはどう思いますか?

 子どものことで、学校の先生にお目にかかることがありますが、学校の先生のほとんどが子ども達の名前を、敬称を付けることなく呼び捨てにします。それを聞いて僕はどうも違和感を覚えます。もちろん自分の子ども達に敬称を付けることはありませんから、おそらく学校の先生はそれと同じ感覚、自分の子ども達という感覚なのでしょうね。

 とある小学校の男の子に「お友達の名前は?」と聞くと「○○さん」と男の子にさん付けしていました。なんでも学校の方針なのだとか。男性をさん付けで呼ぶのは大人になってからでも遅くないようにも思いますが・・・。

 診察室から大きな声で「○○ちゃん」と呼ぶと、入ってきたのはお母さんということがたまにあります。「ごめんなさい」と謝りますが、お母さんの方もちょっと照れくさそうな表情をします。大人になってもちゃん付けで呼ばれるのは久し振りで嬉しいのでしょうね (^_^;

 男の子は君付けで呼ぶので良いのですが、中学生や高校生の女の子を呼ぶときはっできるだけちゃん付けでなく、○○さんと呼ぶようにしています。ずっと小さい頃からみてきて、○○ちゃんと呼びたいのですが、そこはできるだけ大人として扱ってあげた方が良いと思っています。
でも大きくなってもやっぱり可愛い子ども達、ちゃん付けで呼んでしまうこともしばしばです。

写真は夏休みに奥さんと2人で行った宮古島の海と空です。