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八甲田レポート:冬の終わり

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 春分の日、久し振りに出掛けた八甲田、もうすっかり樹氷は消え、春の近いのを感じます。しかし先週からの寒気に、氷の鎧を下ろしたばかりの木の枝は再び凍りつき、寒そうに揺れていました。 しかし硬いアイスバーンの上に10cm程の新雪が積もり、登るのには、そしてボードで滑り降りるのにも快適でした。少しずつ体が慣れてきたのか、背中のボードも重くは感じませんでした。来週は急患診療所、再来週は東京で、きっと今シーズン新雪を滑るのはこれが最後でしょう。
 残念ながら視界は悪く、綺麗な写真は撮れませんでしたが、時折の日の光はもう春の日差しで、酸ヶ湯対岸の稜線が眩しく輝いていました。

最後の卒業式

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 先週の金曜日、クリニックを休診にして、息子の大学の卒業式に参列してきました。子ども達の卒業式には確か1回だけ出た記憶があります。小学校の卒業式だったと思います。仕事を休めず、ほとんど出たことはなかったのでした。昨年娘が大学を卒業し、今年の息子の卒業式でこれが最後と出席することにしたのでした。我が家の子ども達は二人とも初め北海道に行くことを嫌がっていました。ですが6年間を過ごした札幌をすっかり気に入ったようで、結局二人ともそこに就職することになりました。僕自身、小学校6年から中学、高校を過ごした北海道を故郷のように思っていますから、子ども達も同じ土地を生きたことに、そしてこの先もそこで生きて行くことには感慨深いものがあります。

 謝恩会にも出てきました。もちろん謝恩会の主役は先生方ですから、父兄は隅っこでオブザーバーとしての参加です。ホテルでの謝恩会は華やかでお料理も美味しく素晴らしいものでした。そして自分自身の大学の卒業式、謝恩会のことを思い出していました。実は僕は謝恩会をボイコットしたのです。やはり会場は市内のホテルだったのですが、「お金のない学生がなにも高いお金を出してホテルでやることはない、生協でやれば良い」と主張したのです。しかし当然、誰にも聞き入れられず、賛同してくれた友人と二人だけでお祝いしたのでした。今から思えば世間知らずでしたが、今でも間違っていたとは思っていません。虚勢を張ることなく、分相応に、あるがままに生きて行けば良いと思っています。

暖冬少雪とは言え、そこは北海道です。北の大地はまだ一面雪に覆われていました。

パパママ教室 最後の講話

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 5年前の4月から弘前市のパパママ教室で年に数回、未来のパパママ達にお話しをしていました。自分ではプレネイタルビジットの一環のつもりでした。プレネイタルビジットとは赤ちゃんが生まれる前から小児科医が育児指導や育児相談を行うことです。そのパパママ教室が今年の4月、集団指導という形から個別指導に変わります。保健センターで現在年4回行われていたものが、“ひろろ”で毎週個別に行われることになります。それと同時に小児科医(私)の講話がなくなります。集団から個別へというのは社会の流れなのでしょう。予防接種や健診も昔の集団接種、集団健診から個別接種、個別健診へと変わってきました。生活スタイルもそれぞれですし、指導するポイントもそれぞれですので、それは当然の流れなのでしょう。
先の日曜日は僕にとっての最後のパパママ教室、最後のお話でした。

 そのパパママ教室でこれまで僕は自分が一番伝えたいことをお話ししてきました。それは親子の絆の話し、愛着のお話しです。子どもを充分にあまえさせることで、安定した愛着形成がなされ、それが子どもの心にしっかりと安定した土台を作ります。子どもが心身ともに健やかに育つには子どもが親にあまえることがニード(必須)のことなのです。
パパママ教室はそれを少しでも伝える手段だったのですが、若いパパママにそれを伝える手段を新たに考えなければなりませんね。
市は参加者にはリーフレットを配るから大丈夫と言っていましたが・・・ (・_・;

 さて、今週、息子の大学の卒業式に出席しています。自分のパパ業もこれで一段落出来るでしょうか。

岩木山レポート:雪山と体力不足

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日曜日、ボードを担いで久し振りに岩木山へと出掛けました。少しずるをして百沢スキー場のリフトの終点、標高730mからのスタートでした。
(学生時代、山岳部で自分がリーダーのとき、後輩達のブーイングを無視して長野の白馬スキー場を下からリフト終点まで一日掛けて登ったのを思い出します。)
一番乗りを目指しましたが、ちょっとしたトラブル発生。スノーシューをリフトから落としてしまったのです。落としたスノーシューを回収し、リフトに乗り直し、少し遅れてのスタートでした。既にトレース(踏み跡)がついていて、更に楽をしてしまいましたが、それでも今の僕にはきつかった。先行パーティーに追いつくどころか、途中で下から登ってきたスキーヤーに追い越される始末 (×_×)
体力の衰えを痛感させられました。

 頂上直下の斜面を、先行パーティーのトレースをそれて登りだしましたが、膝上までのラッセルはやはり苦しかった。頂上まであと少しのところで、ガスって視界不良となり、それを言い訳にして登頂を諦め、ボードを履いて滑り出しました。登りは良いのですが、ボードを履いての下山はルートが見えないと不安になります。しかも視界が悪くなるととたんにバランスも悪くなります。斜面に対して自分がどんな向きで立っているのか分からなくなるのです。そうなると深雪を楽しめません。転ばないようにするのがやっと。それでも少し下ると視界が良くなり、気持ちよく滑ることが出来ました。対岸を登るボーダーが手を上げて挨拶してくれました。きっと僕の気持ちよさが伝わったのでしょう。ただ気持ちよく滑れたのは最初だけで、五合目から下はブッシュに手こずり、へとへとになって下山したのでした。

最後の最後でピークを諦めたのはやはり体力不足の所為でしょう。体力を付けるのは大変ですが、衰えるのは直ぐです。もっともほぼ半年、運動らしい運動をしなかったのですから当然と言えば当然ですよね。
暖かくなったら本格的に体を鍛え直すつもりです。

ロバートソン・フィルム Jane

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 日曜日、渡辺久子先生によるロバートソンフィルムのセミナーに参加してきました。ロバートソンフィルムは愛着理論を確立したボウルビィの弟子のロバートソン夫妻によって、1950年代にイギリスで撮影された子どもの発達心理行動研究のためのフィルムです。そこには2歳前後の子どもが次子の出産のため母親と離され、里親や乳児院に預けられ、「自分に何が起こっているか分からない」戸惑いや不安が克明に記録されています。世界中の子どもの心のケアに関わる人たちがこのフィルムを繰り返し何度も視聴し学んでいます。母子分離をテーマにした全5巻の白黒フィルムですが、今もそのフィルムから多くのことを学ぶことが出来ます。

 今回のフィルムは「Jane」、17ヶ月の女子でした。Janeは暖かい家庭で育てられました。ただ父親は規律正しく育てようとしました。母が入院し里親に預けられたJaneは初めの数日、快活で機嫌良く、むしろちょっと大げさに笑っていました。その笑いは少し不自然に見えました。そして里親のロバートソンさんがわざと姿を隠すと、Janeはご近所だった自分の家の庭のドアを開けようとします。そのJaneの仕草はちょっと後ろめたそうに見えました。Janeの笑顔は毎日変わります。4日目ようやくJaneは泣き出します。イヤイヤをします。やっと素直な自分を出せたのです。久子先生は、泣かずに過ごす3日間を善し悪しは別にしてJaneのdefense力の高さだと言っていました。ロバートソンフィルムの他のどの子も、母親と分離された数日間に表情や仕草が激しく変わります。その対応を間違えるとそれは大きな心の傷となり、その後の人生にも影響するのです。

 第一次反抗期とも言われる2歳前後は最も不安定な時期です。なんでも自分でやりたがるかと思えば親に激しく甘えてきます。子どもの対応に難儀するお母さんも多いかと思います。この時期は親に嫌われるのではないかという不安の強い時期でもあります。そんな時期の突然の母子分離が子どもに大きな影響を及ぼすことは当然のことなのです。久子先生は保育園に預けるのならそれより早いかもっと遅い時期にするべきだと言っています。お子さんを保育園に預ける方も多いかと思いますが、ちょっと心に留めておいてくださいね。

写真は貿易センタービルからみた東京タワー。スマホで撮ったのでこれが限界です。展望台には大きなカメラを抱えたヒトが沢山集まっていました。

検査結果

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 メルマガでは既にお知らせしたのですが、1月末のバイオプシーの検査結果を12日に聞いてきました。結果は陰性、癌はないとのことでした。
 今まで表に出していませんでしたが、疑っていた病名は前立腺癌でした。昨年末、ピロリ菌の抗体価を調べるついでに、偶然検査したPSAが高かったのです。PSAは前立腺癌の腫瘍マーカーで特異性が高く、前立腺癌で検索するとPSAが高いだけでも手術の適応と出ていました。前立腺癌は早期であれば比較的予後のよい病気です。間寛平さんや畏れ多いですが天皇陛下も同じ病気でした。そんな訳で、初期だしまあ死ぬことはないだろうとあまり心配していなかったのです。それでも手術は必要だろうと覚悟していました。そのため2月末の健診の予約をストップし、入院に必要なものを準備していたのです。しかし幸いにも病理検査の結果は陰性。腑に落ちないところはありますが、先ずは良かったです。この後はPSAの値で経過を観察することになります。今は2ヶ月後のPSAが正常に戻っていることを祈っています。

 予後は良いとは言え癌は癌ですから、この1ヶ月半やはり多少は抑うつ気分だったのでしょう。ニセコも心からは楽しめず、山へ行く気力も湧いてきませんでした。
 今回、色々と勉強になりました。これまで沢山の死を見てきましたが、自分自身の死を現実のものとして考えることはありませんでした。それと向き合うことで、周りに優しくしている自分に気付きました。いつもならストレスフルな状況にとげのある言葉が出てしまうこともあるのですが、優しく診察している自分がいました。半分くらいは覚悟できたからかも知れません。今回は大丈夫でしたが、何時また病気になるかも知れません。常日頃から覚悟できている自分でありたいです。

 外来で多くの方に元気になってくださいと声を掛けていただきました。皆様、心配してくれてありがとうございました。
松原は先ずは元気です。もうしばらくは仕事できそうです。

 写真は昔撮ったニッコウキスゲ。子ども達がみんなこの花のように元気に輝いて欲しいです。今年は山も行ってまた花の写真を撮ってこようと思っています。良い写真が撮れたらまたアップしますね。

夜泣きに「笑顔の無言療法」

 外来で赤ちゃんの夜泣きのことを相談されることがあります。僕は「良いお薬があるよ。漢方薬が8割くらいの子には効くよ」とお話しして甘麦大棗湯(かんばくだいそうとう)を処方します。これはクッキーの原料のようなお薬で甘くて飲みやすく、副作用はありません。もう一つ、抑肝散も夜泣きに使うことがあります。しくしく泣くような夜泣きに甘麦大棗湯が有効で金切り声で泣くような夜泣きには抑肝散が有効と言われています。また漢方薬には「母子同服」という考え方があります。これは子どもと同時に母親にも服用させるというものです。甘麦大棗湯は不安を鎮める働き、抑肝散はイライラを鎮める働きがありますが、赤ちゃんの夜泣きの原因は、母親の不安やイライラを赤ちゃんが間主観的に感じる(心と心が響き合う)ことによることが多いからです。
 夫やお姑さんとの意見の食い違い、アパートで赤ちゃんの泣き声がご近所さんにに迷惑になってはいまいかと心配したり、それらのお母さんのストレスを赤ちゃんが感じて夜泣きしてしまうことがあります。内藤寿七郎先生の「育児の原理」には夜泣きはいずれ治るものと家族もご近所の方も大らかに接してあげて欲しい、そうした思いやりが夜泣きを一番早く治すとありました。

 「育児の原理」にはもう一つ夜泣きの治療法が書いてありました。それは「笑顔の無言療法」。神経質な赤ちゃんに言葉をかけすぎると夜泣きが始まることがある。もしこれといって夜泣きの原因が見当たらない場合、言葉のかけすぎを疑って、1週間くらい“だんまり作戦”という無言療法が効果あることがあるのだそうです。これは声を出さないで笑顔だけで赤ちゃんに接し、かまわれすぎて高ぶった神経を鎮める治療なのだとか。
赤ちゃんの夜泣きでお困りの皆さん、一度試してみてはどうですか?
「治ったら普通の態度で接すること」とただし書きもありました。

バイオプシー

 先週金曜日、クリニックを休診にして1泊入院し、バイオプシー検査(生検)を受けてきました。組織を取って顕微鏡で見るのですが、ドクターは痛覚神経がない場所だから痛くない、無麻酔でやりますと言っていました。そうは言っても痛いものと覚悟はしていましたが、やはりちょっと痛かった。まあ我慢できる痛さではありましたが、10カ所も刺されては流石にもう無理と最後は叫びそうになりました。結果を来週聞きに行くことになっています。
多分、手術になるだろうと覚悟はしています。おそらく1週間程度の入院で済むと思うので、2月の22日の週をお休みして、3月から復帰、と思っているのですが、大学病院の都合もあるのでそう上手くいくかどうか。

 11月の採血で正常だった腫瘍マーカーが、ほんの1、2ヶ月でどんどん上昇するとは思いませんでした。12月に同じ検査をしたのは偶然で、それはホントにラッキーでした。しかし何故でしょう。やはり1年間のストレスで僕の免疫力が低下してがん細胞を叩けなくなっていたのかも知れないと思うのです。いつもなら山へ行ってレフレッシュするのですが、それも出来ませんでした。
少し仕事を減らして健康を取り戻そうと思っています。
 そんな訳で4月から診療時間を1時間短縮することにしました。そして自分のやりたかった医療をしようと思っています。健診や予約方法が少し変わります。詳しくは“お知らせ”に載せることにしました。近日中にupしますのでご覧ください。

八甲田レポート:樹氷の森

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 久々の大自然レポートです。

 昨年11月に始まった腰痛も少しずつ癒え、なんとか雪かきもできるようになりました。衰えた体力を取り戻すにはやはり山へ行かなきゃと日曜日空をにらみながら八甲田へと出掛けました。北や南では暴風雪で大変だったようですが、何故か津軽地方は穏やかに晴れていました。出発が遅れ、八甲田大岳は諦め、その隣と硫黄岳を目指しました。標高は大岳より200m低く、仙人岱ヒュッテより僅かに高いだけです。幸いトレース(登った跡)が着いていて、自分でラッセルすることなく随分と楽をしてしまいました。しかし今の自分にはそれで充分。無理せず少しずつハードルを上げるつもりです。

 さて、今年は里も少雪ですが、山の積雪も例年より1mは少ないようです。樹氷も貧弱でいつものモコモコのモンスターにはほど遠く、痩せて枝が見えています。しかしそれでも広々とした斜面に樹氷の森が広がる様は壮観です。やはり自分には山が合ってる、山を登ると気が満ちるように思えます。今年はまた山を登ろうと思ったのでした。

 昨日の大雪で積雪はようやく平年並みになったようですね。昨日の新雪、今日は今日で除雪車が置いていった固い雪を片付けるのに二日連続で朝から汗を流していました。これもトレーニングの一環と信じて (^_^;

先を見通した診療とは

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 先週土曜日の午後、県の主催する発達障害者支援フォーラムに出席してきました。このフォーラムは毎年この雪の季節に開催されています。今年の講演は国立重度知的障害者施設のぞみ園のS先生。自閉症のある子ども達の生涯を通しての支援のあり方についての講演でした。ある一人の自閉症の方を設定し、その方が生まれてから80歳でなくなるまでの一生のストーリーを講演されました。想定されるライフイベント・・・診断、就学、就職、病気、そして老後生活、そしてそれらを支援する社会的課題。自閉症、その基本的な特性は生涯続きます。自閉症の子ども達を診るときその将来を見通した目で診ていく必要があるのでしょう。

 でもそれは何も発達障害に限ったことではないように思います。
例えば安易な抗生剤の使用が将来のアレルギーの引き金になったり、タミフルの使用は熱を2、3日早く下げることはできますが、インフルエンザに対する強い免疫が出来なかったりします。子ども達に関わる全てのこと、それが将来にわたって有意義かどうかを考える必要があると思ったのでした。

 ところで僕は自閉症を病気や障害とは思っていません。独特の特性を持っているだけなのです。特性とは性格みたいなもの。しかしその性格のために生きにくさがあったとしたらそれは支援が必要です。無理解が軋轢を生み、繊細な彼らは鬱などの二次障害を併発します。二次障害は治療が必要ですし、二次障害を起こさないような環境調整が必要なのです。

写真は講演会の帰りに立ち寄った物産館Aファクトリー。沢山のミニ灯籠が歓迎してくれていました。でもちょっとバランスの悪い写真だなあ (^_^;