白か黒か

院長のつれづれ

 ストレスの多いインフルエンザの診療もそろそろ終わりです。そのストレスとは医療を提供する側と受ける側の意識の差から来るものでしょうか。もう少し正確に言うならば自分がやりたい医療と患者さんが望む医療のギャップでしょうか。
 多くの方が重症度を問わずインフルエンザかどうかの診断と治療薬を希望されます。マスコミに不安を煽られたり、会社あるいは園、学校から診断を求められることも少なくありません。しかし最近思うのは白黒はっきり診断を付けることにどれだけ意味があるのだろうかということです。
インフルエンザの診断キット自体、100%の精度で診断することは出来ないし、仮に診断して厳密に出停措置をとったとして、それでインフルエンザの流行を防ぐことが出来るわけではありません。出停にどれだけ意味があるのだろうと疑問に思うのです。タミフルなどの治療薬を使わなくてもほとんどのインフルエンザは治るし、罹ったときにその子の状態を正しく評価して適切な医療をすれば良いのではないかと思うのです。インフルエンザに全例、抗インフルエンザ薬を使うのはある意味過剰医療ではないでしょうか。
 発達障害でも白黒はっきり診断を求められることが多いようです。世の中、白黒だけでなく、グレーもある。他の色だって沢山ある。いつから日本は白黒しか認めない二元的な社会になってしまったのでしょうか。

 絶対的な信頼感を持てた赤ちゃんは好ましい愛着形成を築くことが出来ます。しかし大好きな母(good mother)の中に、怖い母(bad mother)の存在に気付いたとき、大好きお母さんでもbadな所もあることに気付き、子どもはgoodとbadを統合して行きます。good とbadを統合できないと、人を白か黒かだけで見て、灰色で見られなくなります。自分自身もgoodとbadが分裂し、一貫した思考が出来ず、ストレスがたまり、精神的混乱、心身症、異常な行動の引き金になると言われています。
 さて、今の日本、白か黒かでしかものを見られなくなってきているのだとしたらそれは日本の自己像が不安定であることを意味していると言えるのかも知れない・・・なんて考えていました。

GWまでは持ちそうにありませんが、今年の桜も綺麗でしたね。

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