弘前市がゴミの収集を有料化するらしいという噂を聞きつけ、女房がそれなら今のうちに不要のものを整理しようと、部屋中を片付けだした。それ以来、焼却ゴミの日が来る度に、毎回大量のゴミ袋を出すことになった。しばらくして彼女は、押し入れにある段ボール箱を指さし、「この段ボールの中身、あなたの物だけど全部捨てても良いと思うよ。早く片付けて」と言ってきた。仕方なしに土曜日の夜、段ボールを押し入れから取り出し覗いてみた。中には古い写真や手紙、日記帳が入っていた。手紙は全部捨てた。診ていた子ども達からのラブレターもあったが、きっとこの子達ももういい大人になっていることだろう。友人からの手紙も捨てた。息子が5歳の頃の写真にお父さんありがとうと書いた幼稚園の父の日の作品。これは捨てられなかった。高校の頃から大学生まで書いていた日記。所々読んでみると、その年頃の男子の考えが分かって興味深い。後で読み返そうと取っておくことにした。沢山の写真。中学生の自分がいた。憧れていた女の子の写真もあった。大学生時代、一人で行ったネパールの山奥の写真も出てきた。捨てるかどうか一枚一枚確かめようと取っておくことにした。沢山の山の地図。これはいつかまた登るかも知れないとそのまま取っておくことにした。結局、段ボール箱の中の物はあまり減らず、別の段ボールに入れ替え、保管場所を女房の目の付かない場所に移動した。この秋の夜長、写真を取り出し、懐かしむことがあるかも知れない。女房に言わせればゴミかも知れないが、必要な物だけしか残さないというのは寂しいことなのだと言い訳している自分がいた。
2016年09月16日
仕分け
院長のつれづれ